理化学研究所(理研)量子コンピュータ研究センター 量子複雑性解析理研白眉研究チームのキム・ドンフン 基礎科学特別研究員、桑原 知剛 理研白眉研究チームリーダー(開拓研究所 桑原量子複雑性解析理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)の研究チームは、極低温の量子状態において、量子もつれ[1]の大きさが境界の大きさに応じて決まる「境界則[2]」が、これまでよりはるかに一般的な条件の下で成り立つことを理論的に証明しました。
これまで境界則は主に、「近くの粒子同士しか強く影響しないこと」と「エネルギーの大きさに限界があること」という条件の下で研究されてきました。今回、研究チームはこれらの条件を外しても境界則が成り立つことを、統一的な形で示しました。
本成果は、量子の世界に潜む普遍的な構造の理解を深めるとともに、スカラー量子場[3]やその実験的実現系である冷却原子系(超低温まで冷やされた原子集団)の理解を深め、複雑な量子多体系[4]に対する量子シミュレーション[5]技術の理論基盤になると期待されます。
本研究は、科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(7月27日付)に掲載されました。
ボーズ量子場の量子もつれ境界則
背景
量子もつれは、複数の粒子や場が、離れていても一つのまとまりとして振る舞う量子的な相関です。自然界で量子もつれがどのように広がり、どのような規則に従って現れるのかを理解することは、量子の世界の現象をより深く理解する上で本質的な意味を持ちます。量子もつれの広がり方には、一定の規則があることが知られています。その代表が「境界則」と呼ばれる法則です。これは、系を二つに分けたときに、その間の量子もつれの大きさが、体積ではなく境界の大きさに比例するというものです。直感的には、量子もつれは系全体に無秩序に広がるのではなく、分割面の周辺に主に集中することを意味しており、複雑な量子状態にも隠れた単純な構造があることを示しています。
しかし、この境界則が厳密に成り立つことが証明されていたのは、「近くの粒子同士しか強く影響しないこと」と「エネルギーの大きさに限界があること」という二つの条件の下に限られます。これらの条件は、スピン[6]系など理想化されたモデルでは自然に満たされますが、より現実的な量子場やボーズ粒子[7]系では必ずしも成り立ちません。特に、遠く離れた粒子同士が相互作用する「長距離相互作用[8]」を含む系や、局所的にエネルギーが無限に大きくなり得るボーズ量子場[7]は従来の理論では扱うことができませんでした。
桑原理研白眉研究チームリーダーらはこれまでに、長距離相互作用を持つ1次元スピン系において境界則が成り立つことを示していましたが、エネルギーに上限のないボーズ量子場も含めて境界則を統一的に完成させることは長年未解決の課題となっていました注1、2)。
- 注1)Tomotaka Kuwahara and Keiji Saito, "Area law of noncritical ground states in 1D long-range interacting systems", Nature Communications, 10.1038/s41467-020-18055-x
- 注2)2020年9月8日プレスリリース「量子もつれの境界則に対する新しいメカニズムの発見」
研究手法と成果
本研究で扱ったボーズ量子場では、量子もつれが常に境界則に従うわけではありません。実際、粒子や場が特定の場所に極端に集まるような不自然な状況では、境界則が破れる反例を数学的につくることができます。従って、境界則を理論的に取り扱う上での最初の課題は、どのような条件の下であれば境界則が自然に成り立つのかを正しく見極めることでした。
このため、ボーズ量子場に対して成り立つべき二つの「自然な条件」を定式化しました。自然な条件とは、最もエネルギーの低い状態(基底状態)において安定に存在すること、粒子数や場の揺らぎが極端に発散しない状況としました。研究チームは、ボーズ量子場の代表的な二種類の理論に注目して定式化しました。一つは、スカラー量子場の代表例として広く研究されているφ4(ファイよんじょう)理論[9]です。もう一つは、冷却原子系の理論モデルとしてよく知られるボーズ・ハバード模型[10]です。
本研究では、これらの代表的なモデルを出発点として、2体相互作用に限らず多重相互作用まで含む形へ一般化するとともに、遠く離れた自由度の間に働く長距離相互作用も含めて、統一的に扱える理論枠組みを構築しました。特に、ボーズ・ハバード模型では粒子数分布の集中性、φ4理論では場の揺らぎの抑制を厳密に評価することで、局所的に無限に大きな自由度を持ち得るというボーズ量子場特有の難しさを乗り越えました。
その結果、これら二つの広いクラスに属する1次元ボーズ量子場において、量子もつれが境界則に従うことを示しました。すなわち、「近くの粒子同士しか強く影響しないこと」と「エネルギーの大きさに限界があること」という従来の二つの条件を外しても、自然な条件の下では境界則が成り立つことを明らかにしました。さらに、この結果から、こうした複雑な量子状態が比較的少ない情報量で効率よく近似できることも示され、量子多体系の計算可能性を支える理論的基盤が与えられました。
さらに、量子もつれの広がり方を調べるだけでなく、その状態をコンピュータでどれだけ効率よく扱えるかも解析しました。量子状態は本来、系が大きくなると必要な情報量が急激に増えるため、正確に計算(シミュレーション)することは非常に困難です。そこでよく用いられるのが、量子状態をできるだけ少ない情報で表す「行列積状態[11]」という方法です(図1)。本研究では、この表し方に必要な情報量の目安となる「ボンド次元[12]」を理論的に計算し、対象としたボーズ量子場が比較的少ない情報で近似できることを示しました。これは、1次元量子系の計算で広く使われている密度行列繰り込み群法[13]などの手法が、こうした系に対しても有効に働く理由を理論的に裏付けるものです。
図1 ボーズ量子場のシミュレーション
複雑な量子状態を、多数の行列の組み合わせ(行列積状態)として整理して表す。この方法により、ボーズ量子場の情報を古典コンピュータで扱いやすい形に変換できる。本研究では、近くの場所だけでなく、離れた場所にあるボーズ粒子や場の揺らぎ同士が影響し合う長距離相互作用を含む場合も対象とした。
今後の期待
今後は、本研究で得られた結果を基に、ボーズ量子場に対する精度保証付きの数値計算法[14]の確立が期待されます。これまで、密度行列繰り込み群法などの手法は高い有効性が経験的に知られていましたが、どの範囲で信頼できるかを理論的に示すことは容易ではありませんでした。本研究は、そのような経験論的手法に理論的裏付けを与える重要な一歩です。
また、今後は1次元にとどまらず、2次元の面状の系や3次元の空間的な系など、より高い空間次元のボーズ場へと理論を拡張していくことが期待されます。これは、現実の量子物質や量子場の理解をさらに深めることにつながります。
補足説明
- 1.量子もつれ
複数の粒子や場が、離れていても一つのまとまりのように強く結び付いた状態。一方の状態を調べると、他方の状態とも深く関係していることが分かる、量子力学に特有の現象。 - 2.境界則
量子系を二つに分けたとき、両者の間の量子もつれの大きさが、全体の体積ではなく境界の大きさに応じて決まるという法則。複雑な量子状態にも隠れた単純な構造があることを示す。 - 3.スカラー量子場
空間の各点に一つの数で表される量が対応した量子場。量子場理論で最も基本的な種類の一つであり、粒子や場の振る舞いを記述するための基本モデルとして使われる。 - 4.量子多体系
多数の粒子や自由度が互いに影響し合いながら振る舞う量子系の総称。粒子数が増えると状態の複雑さが急激に増し、理論や計算が難しくなる。 - 5.量子シミュレーション
自然界の複雑な量子現象を、計算機や人工的につくった量子系を使って再現し、性質を調べる手法。通常の計算では扱いにくい量子多体系の理解に役立つ。 - 6.スピン
粒子の量子力学的効果を含んだ回転の自由度。磁石の微視的な状態。 - 7.ボーズ粒子、ボーズ量子場
ボーズ粒子は、ボーズ・アインシュタイン統計に従う量子粒子で、整数のスピン(角運動量の量子数)を持つ。この性質により、複数のボーズ粒子が同じ量子状態を同時に占有することが可能になる。典型的なボーズ粒子には光子(光の粒子)、グルーオン(強い力を媒介する粒子)、および一部の原子がある。ボーズ量子場とは、空間の各場所にボーズ粒子がどれだけ存在し、どのように量子的に揺らいでいるかを表す理論的な枠組みである。各場所に存在できる粒子数に原理的な上限がないため、スピン系などに比べて自由度が大きく、数学的に扱うことが難しい。 - 8.長距離相互作用
離れた粒子同士の間にも無視できない強さで働く相互作用。例えば、距離の2乗や3乗に反比例して弱くなる場合がこれに当たる。クーロン力や分子間力はその代表例である。 - 9.φ4(ファイよんじょう)理論
スカラー量子場の代表的な理論の一つであり、場の4乗に比例する相互作用を含むことからこの名で呼ばれる。素粒子論や統計物理学などで広く研究されている基本的な模型。 - 10.ボーズ・ハバード模型
ボーズ粒子が格子上を移動しながら互いに相互作用する様子を表す理論模型。冷却原子を光格子に閉じ込めた系などを理解するための基本モデルとして知られる。 - 11.行列積状態
1次元の量子状態を、行列の積を使って効率よく表す方法。量子もつれが強過ぎない状態では、元の複雑な状態を少ない情報量で近似できる。 - 12.ボンド次元
行列積状態で量子状態を表すときに必要な情報量の大きさを表す指標。値が大きいほど、より複雑な量子もつれを表せる一方で、計算量も大きくなる。 - 13.密度行列繰り込み群法
1次元量子系の基底状態を高精度で求めるための代表的な数値計算法。行列積状態を利用して計算を効率化する方法として広く用いられている。 - 14.精度保証付きの数値計算法
計算で得られた結果が、真の値からどの程度ずれているかを理論的に評価できる数値計算法。計算結果の信頼性を明確に示せる点が重要である。
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「量子多体理論を用いた量子計算機の高速アルゴリズムの開発(研究代表者:桑原知剛、JPMJPR2116)」、同戦略的創造研究推進事業ERATO「沙川情報エネルギー変換プロジェクト(研究代表者:沙川貴大、JPMJER2302)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「中規模量子コンピュータによるセキュアな分散型量子計算の基盤創出(研究代表者:フランソワ・ルガル、JP24H00071)」、同基盤研究(B)「速度限界と情報伝播に関する理論的研究(研究代表者:齊藤圭司、JP23H01099)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Donghoon Kim、Tomotaka Kuwahara, "Entanglement area law in interacting bosons from the Bose-Hubbard model to φ4 theory and beyond", Nature Communications, 10.1038/s41467-026-72404-w
発表者
理化学研究所
量子コンピュータ研究センター 量子複雑性解析理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 桑原 知剛(クワハラ・トモタカ)
(開拓研究所 桑原量子複雑性解析理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)
基礎科学特別研究員 キム・ドンフン(Donghoon Kim)
桑原 知剛
キム・ドンフン
発表者のコメント
1次元系における量子もつれの境界則の理解は、この20年近くで大きく発展してきました。今回、長年の課題だったボーズ量子場を含む広いクラスへと結果を拡張できたことを、大変うれしく思います。(桑原 知剛)
量子もつれに関する普遍的な法則である境界則は、量子系を効率よくシミュレーションするための重要な理論的基盤です。今回の研究で確立した結果が、より広い範囲の量子系をシミュレーションするための足がかりとなることを期待しています。(キム・ドンフン)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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