理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター 計算量子物性研究チームの新城 一矢 研究員、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チームの関 和弘 研究員、計算科学研究センター 量子系物質科学研究チームの白川 知功 上級研究員(量子計算シミュレーション技術開発ユニット 上級研究員、開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 上級研究員、数理創造研究センター 量子数理科学チーム 上級研究員、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム 上級研究員)、スン・ロンヤン 研究員(研究当時)、開拓研究所 柚木計算物性物理研究室の柚木 清司 主任研究員(計算科学研究センター 量子系物質科学研究チーム チームプリンシパル、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム チームディレクター、創発物性科学研究センター 計算量子物性研究チーム チームディレクター、最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部統合データ・計算科学プログラム プロジェクトディレクター)の研究グループは、IBMの超伝導量子コンピュータ[1]を用いて、133量子ビットの2次元格子上で離散時間結晶および離散時間準結晶[2]が最大100時間ステップ(時間ステップは駆動1周期を1ステップと数えた回数)にわたって安定して実現することを明らかにしました。
本研究成果は、古典計算が困難な2次元非平衡量子多体系[3]のデジタル量子シミュレーションに向けた実機検証に貢献すると期待されます。
研究グループは、スーパーコンピュータ「富岳」による2次元テンソルネットワーク[4](2dTNS)法と実機の観測結果が整合することを確認し、結果の信頼性を検証しました。その上で、古典計算では計算量が急増して追跡が難しくなる長時間領域まで観測を拡張し、量子有用性[5]を示しました。
本研究は、科学雑誌『npj Quantum Information』オンライン版(3月12日付:日本時間3月12日)に掲載されました。
背景
物質の性質は、原子や電子がつくる「秩序」によって決まります。代表例が結晶で、原子配列が空間で周期的に並ぶことで、固体の性質が生まれます。一方で近年、光照射や周期的な外場(外部から加える電場や磁場)で物質(原子・電子から成る量子多体系)を駆動すると、平衡状態では現れない秩序が出現することが分かってきました。このような「非平衡」現象は、平衡状態では現れない新しい物性を生み出す可能性があり、近年注目されています。
しかし、このような非平衡の量子多体系では、時間発展に伴い量子もつれ[6]が増えやすく、古典計算機では時間発展を長く追跡することが難しくなります。特に2次元では、テンソルネットワーク法でも精度を保てる時間が限られることが課題です。
こうした状況で、量子コンピュータを用いて非平衡量子多体系を調べる研究が進んでいます。その代表が離散時間結晶です。時間方向にも結晶のような周期的な秩序が現れる「時間結晶」という概念は2012年に提案されましたが、外部からエネルギーを与えない平衡状態の基底状態では自発的な時間周期振動は起こらないことが理論的に示されています。その後、周期駆動系[7]の非平衡状態では、観測量が駆動と同じ周期ではなく、その整数倍(例えば2倍)の周期で安定して振動し続ける状態が実現できることが分かりました。これを離散時間結晶と呼びます。これまで離散時間結晶の研究は主に1次元系で進められてきましたが、2次元系では量子もつれの増大により古典計算が難しく、長時間の振る舞いを詳しく調べることが困難でした。
離散時間結晶は、非平衡な量子系がどのように秩序を保ち、どの条件で崩れるのかを調べるための分かりやすい舞台です。長時間の振る舞いを追跡できれば、量子状態安定化の仕組みの理解が進みます。
ただし周期駆動系は、一般に駆動を続けるとエネルギーを吸収して熱化[8]し、秩序が失われます。離散時間結晶を長く保つには、熱化を遅らせる安定化機構と、実機のノイズを抑えた観測手法が不可欠です。本研究グループは、IBM量子コンピュータ上に2次元の周期駆動量子多体系を構成し、離散時間結晶に加えて、駆動周期と整数比を持たない長周期応答を示す離散時間準結晶も同じ量子プロセッサ上で追跡しました。
研究手法と成果
本研究は量子回路で時間発展を離散化して実装するデジタル量子シミュレーションであり、IBM Quantum Heronプロセッサ[9]「ibm_torino」を用いました。heavy-hex格子状[9]に結合した超伝導量子ビット133個を、2次元量子系として扱います(図1左)。本研究では、この格子構造が周期駆動下で離散時間結晶を安定して実現しやすいことを見いだし、その振る舞いを量子コンピュータ上で実際に観測しました。そのために、周期駆動された量子スピン模型を量子回路として実装し、量子ビットの時間発展を実機上で調べました。
実装した模型は、周期駆動(キック)したイジング模型[10]です(図1右)。1周期(フロッケサイクル)の時間発展を、磁場による単一量子ビットの回転(RX、RZゲート:それぞれx軸回り、z軸回りに量子ビットを回転させ、状態の重ね合わせや位相を調整する操作)と隣接量子ビット間の相互作用(RZZゲート:2量子ビットの相互作用によって、状態に依存した位相を与え、量子もつれを生む操作)の組合せとして回路化し、これを繰り返します。隣接2量子ビット間の相互作用は、回路の実行効率を上げるため複数層に分けて並列化しました。
図1 2次元量子多体系を実装する量子回路構成
heavy-hex格子状に結合した量子ビットを2次元量子スピン系として用い、単一量子ビットの回転と近接相互作用を周期的に繰り返す(左)。これにより周期駆動下の量子ダイナミクスを実機で観測する構成を取った(右)。
初期状態は、全ての量子ビットを0または1にそろえて準備する「計算基底の積状態」(量子もつれのない状態)を用い、2次元格子上で上向き/下向きを交互に並べた縞状(しまじょう)のスピン配置をつくります。時間発展後に各量子ビットを測定し、局所磁化およびその平均値の時間変化を評価しました(図2)。
量子コンピュータでは、ゲート誤差や読み出し誤差[11]により観測信号が時間とともに減衰します。本研究では、信号減衰を有効的な脱分極ノイズ模型[12]で記述し、理想的な強度を推定して補正するエラー緩和法[13]を導入しました。
図2 ibm_torinoで観測された磁化信号
生データでも2倍周期の振動が観測されているが、エラー緩和によって信号強度が補正される。
この手法により、スーパーコンピュータ「富岳」で実行した2次元テンソルネットワーク(2dTNS)法によって計算した磁化の時間発展と、実機で観測した磁化の時間発展が少なくとも約50時間ステップまで整合することを確認し、実機データの信頼性を担保しました(図3)。その結果、磁化が駆動周期の2倍周期で振動し続ける領域を観測しました。これは、周期駆動が課す時間並進対称性が自発的に破れていることを示す、離散時間結晶の代表的な指標であり、横磁場RXや縦磁場RZの変化に対する2倍周期振動の安定性は非平衡量子相としての性質です。
図3 量子コンピュータ実機信号と古典計算の比較
ibm_torinoで得られた磁化(エラー緩和後)は、2次元テンソルネットワーク(2dTNS)法で得られたものとよく一致する。なお,2dTNSのχはテンソルネットワークのボンド次元(近似の精度を決めるパラメータ)で、χが大きいほど精度が高く、χに依存しない振る舞いは計算の収束を意味する。
縦磁場RZを導入すると、2倍周期振動に加えて、より長い周期の振幅変調が重なって現れました。この長周期応答成分をフーリエ解析(正弦波成分に分解すること)すると、周波数スペクトルに主ピーク(周波数の0.5)と左右対称なサイドピークが現れました(図4)。駆動周期と整数比を持たない振動周期が現れることは、離散時間準結晶の特徴的なシグナルです。
図4 磁化振動のフーリエスペクトル
縦磁場による駆動θZが加わるとサイドピークが現れる。これは、駆動周期と整数比を持たない長周期応答成分の出現を示す指標である。
今後の期待
本研究は、IBMの量子コンピュータ実機で得られた結果を2次元テンソルネットワーク法と比較し、約50時間ステップまでの妥当性を検証した上で、133量子ビットで100時間ステップという長時間の観測に踏み込みました。離散時間結晶および離散時間準結晶と熱化の境界付近では量子もつれが急増し、古典計算が困難になるため、本成果は、2次元非平衡ダイナミクスにおいて量子コンピュータ実機が「古典計算の限界に近い領域」を実験的に探索する道具になり得ることを示します。
量子コンピュータは現行の誤り訂正されていない実機でも、非平衡量子多体系を「実機で合成・検証する」実験基盤として活用できます。特に、周期駆動下での熱化過程と秩序形成を、大規模量子回路で観測・設計できる枠組みは、古典計算が難しい現象の検証と理論の洗練を後押しします。
今後は、量子コンピュータを有効に活用できる物理学の課題をさらに調べるとともに、古典計算が難しい量子多体系の問題に対して量子コンピュータが有効に働く例、すなわち量子有用性を示す具体的な事例を積み重ねていくことが重要になると期待されます。
補足説明
- 1.超伝導量子コンピュータ
量子力学に従う物理系として、超伝導回路を用いる量子コンピュータ。 - 2.離散時間結晶および離散時間準結晶
通常の結晶が空間方向に規則正しい並び(繰り返し)を自発的につくるのに対し、離散時間結晶は時間方向に規則正しい繰り返しを自発的につくる現象である。量子多体系に周期的な駆動を与えているのに、観測量が駆動と同じ周期ではなく、2倍周期などのより長い周期(サブハーモニック)で安定して振動し続けることがある。このように時間方向に結晶のような規則性が生まれる相を、「時間が結晶化する」と表現し、離散時間結晶と呼ぶ。専門的には、周期駆動が持つ離散的な時間並進対称性が、サブハーモニック応答によって自発的に破れることで特徴付けられる。さらに、駆動周期と整数比にならない周期で安定的に応答する場合を離散時間準結晶と呼ぶ。 - 3.非平衡量子多体系
量子力学に従う多数の粒子(量子ビットなど)から成る系が、外部からの駆動や初期状態の影響で、熱的に落ち着いた状態(熱平衡)にないまま時間とともに変化している量子系のこと。このような系ではしばしば、平衡状態では現れない多様な現象が生じる。 - 4.テンソルネットワーク
量子ビット数に対して指数関数的に状態が増える波動関数をテンソル(多次元配列)の結合として表し、特異値分解などで情報を圧縮して近似的に計算する手法。2次元以上では量子もつれ([6]参照)が大きい場合に計算が困難になる。 - 5.量子有用性
誤り訂正がない現行の量子コンピュータ実機でも、厳密な古典計算では扱いにくい規模の問題に対して、信頼できる結果を得られる段階を指す。量子計算が科学探索や近似手法の検証に役立つ、という観点で用いられる。量子優位性は、既存の古典的手法も含めて実用上の明確な利点を示す段階であり、量子有用性はその手前に位置付けられる。 - 6.量子もつれ
二つ以上の粒子(量子ビット)の状態が独立に記述できず、片方を測ると他方の状態も強く制約される量子相関のこと。量子多体系の時間発展ではこの相関(もつれ)が増えやすく、それを表現するために必要な情報量が急増するため、古典計算での取り扱いが難しくなる。 - 7.周期駆動系
外から周期的にくり返し揺さぶられる物理系のこと。 - 8.熱化
多体系がエネルギーを吸収し、初期状態の記憶を失って平衡に近付く過程。特に、周期駆動系では秩序がない無限温度状態に向かう傾向が問題になる。 - 9.IBM Quantum Heronプロセッサ、heavy-hex格子状
IBM Quantum Heron プロセッサは、IBMが提供している超伝導量子プロセッサ系列。本研究で用いた初期版Heron(r1)は133量子ビットを搭載し、heavy-hex格子状に結合している。heavy-hex格子は六角格子を基に結合を一部間引いてまばらにした結合パターンで、各量子ビットが相互作用できる相手が最大3個となるよう設計されている。同じ量子ビットを共有する相互作用ゲート([11]参照)は同時に実行できないため、ゲートを3層に分けて各層を並列実行し、回路の実行時間(深さ)を抑えている。従来世代(127量子ビットEagleプロセッサ)に比べてデバイス性能が大きく向上している。また156量子ビットを搭載したHeron(r2)は現在、理研計算科学研究センターに設置され、IBM Quantum System Twoとして運用されている。 - 10.イジング模型
格子上のスピンが取り得る向き(上向き/下向き)と、近接スピン間の相互作用で磁性体を記述する代表的模型。量子回路上では量子ビットをスピンとして対応付け、ゲート列で相互作用や外場を実装する。横磁場は、スピンの量子揺らぎを導入し、量子的な秩序・無秩序の競合を生む。 - 11.ゲート誤差や読み出し誤差
量子コンピュータでは、量子ビットを回転させたり相互作用させたりする操作(ゲート)が理想通りに行われないことがあり、これをゲート誤差と呼ぶ。さらに、測定の際に本来の0状態を1状態に取り違えるなど、測定過程で生じるずれを読み出し誤差という。これらの誤差は実機計算の精度を制限する主な要因となる。 - 12.脱分極ノイズ模型
量子状態が一定確率で最大混合状態に近付くと見なすノイズ模型。観測量の期待値が時間とともに一様に減衰する効果を表現できる最も基礎的な模型。 - 13.エラー緩和法
追加回路や統計処理でノイズの影響を推定し補正する手法。本研究では脱分極ノイズ模型に基づく方法を用いた。
研究支援
本研究は、理研TRIPイニシアティブ(RIKEN Quantum・多電子集団)および、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業研究活動スタート支援「ドープされたモット絶縁体における擬ギャップ現象の研究(研究代表者:関和弘、JP19K23433)」、同基盤研究(A)「量子多体系に対する量子-古典ハイブリッド量子計算の新展開(研究代表者:柚木清司、JP21H04446)」、同基盤研究(C)「強相関系のための量子計算手法の研究と開発(研究代表者:関和弘、JP22K03520)」、同若手研究「強相関電子系におけるサブサイクルパルス・エンジニアリングの創出(研究代表者:新城一矢、JP23K13066)」による助成を受けて行われました。
また本研究の一部は、「富岳」一般課題「2次元テンソルネットワーク法に基づく量子計算シミュレータの開発(研究代表者:スン・ロンヤン、hp230293)」「量子コンピューティングのための並列化テンソルネットワークシミュレーション(研究代表者:白川知功、hp250069)」、理研HOKUSAIスーパーコンピュータ利用研究課題「量子ユニタリ回路ダイナミクスの古典計算機シミュレーション(研究代表者:新城一矢、RB240055)」、HPCIシステム利用研究課題「量子ユニタリ回路ダイナミクスで実現する新奇非平衡量子状態(研究代表者:新城一矢、hp250062)」を通じて、計算資源の提供を受け、実施しました。また、本研究は「富岳」高度化・利用拡大枠「HPCプラットフォームにおける量子多体シミュレーションと量子コンピューティングの研究開発(課題代表者:柚木清司、ra000011)」の一環として実施されました。
なお、本研究の成果の一部は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業(JPNP20017)」の委託事業「計算可能領域の開拓のための量子・スパコン連携プラットフォームの研究開発(研究代表者:佐藤三久)」の支援を受けました。
原論文情報
- Kazuya Shinjo,Kazuhiro Seki,Tomonori Shirakawa,Rong-Yang Sun,Seiji Yunoki, "Unveiling clean two-dimensional discrete time crystals on a digital quantum computer", npj Quantum Information, 10.1038/s41534-026-01193-3
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 計算量子物性研究チーム
研究員 新城 一矢(シンジョウ・カズヤ)
量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム
研究員 関 和弘(セキ・カズヒロ)
計算科学研究センター 量子系物質科学研究チーム
上級研究員 白川 知功(シラカワ・トモノリ)
(量子計算シミュレーション技術開発ユニット 上級研究員、開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 上級研究員、数理創造研究センター 量子数理科学チーム 上級研究員、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム 上級研究員)
研究員(研究当時)スン・ロンヤン(Rong-Yang Sun)
開拓研究所 柚木計算物性物理研究室
主任研究員 柚木 清司(ユノキ・セイジ)
(計算科学研究センター 量子系物質科学研究チーム チームプリンシパル、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム チームディレクター、創発物性科学研究センター 計算量子物性研究チーム チームディレクター、最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部 統合データ・計算科学プログラム プロジェクトディレクター)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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