理化学研究所(理研)開拓研究所 伊丹分子創造研究室の伊丹 健一郎 主任研究員(環境資源科学研究センター 拡張ケミカルスペース研究チーム チームディレクター)と名古屋大学 大学院理学研究科の伊藤 英人 准教授らの共同研究チームは、多環芳香族炭化水素(PAH)[1]から多様で複雑なナノグラフェン[2]を短い工程で合成する新手法の開発に成功しました。
本成果は、従来法では到達が難しかったナノグラフェンの構造空間を大きく広げることに成功し、構造に由来する未知の光・電子機能を探索するための新たな合成基盤となるものです。
共同研究チームは、未修飾PAH[1]にさまざまな構造のナフタレン骨格[3]をパラジウム触媒で直接つないだ後、酸化的に環を閉じる「二段階縮環π拡張(二段階APEX)法[4]」を確立しました。従来のAPEX法では、利用できるπ拡張剤が限られ、合成可能なナノグラフェンの構造多様性に制約がありました。本手法では、立体的に混み合った芳香環部位も導入でき、8~10個の環が縮環した平面型および湾曲型ナノグラフェンを合成できました。特に、五員環・六員環・七員環が組み合わさった、負の曲率を持つ大きく湾曲したナノグラフェンの創製に成功し、その立体構造、芳香族性、吸収・発光特性を明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Angewandte Chemie International Edition』オンライン版(8月25日付:日本時間8月25日)に掲載されました。
本研究の概要(created by Dr. Issey Takahashi)
背景
ナノグラフェンは、炭素が蜂の巣状に結合した2次元シート状物質であるグラフェンの一部分を分子として切り出したような、原子配列と構造が明確な多環芳香族化合物です(図1a)。分子の大きさ、形、環のつながり方によって、電子状態や光吸収・発光特性が大きく変化するため、有機発光ダイオード、有機太陽電池、有機電界効果トランジスタなどへの応用が期待されています。また、平面構造だけでなく、湾曲やねじれ、五員環・七員環などの「欠陥」を分子内に組み込むことで、通常のグラフェンにはない性質が現れる可能性があります。
図1 ナノグラフェンの構造と従来合成法、本研究で目指した新合成戦略
(a)ナノグラフェンの構造(左)と従来の合成法(右)。(b)本研究で目指したナノグラフェンの構造多様性を飛躍的に高める新合成戦略。
一方、狙った構造のナノグラフェンを合成するためには、一般にあらかじめ原料へ反応点(化学反応が起こりやすい部位)を導入し、クロスカップリング反応[5]で骨格を組み立て、最後に環化する多段階工程が必要でした。共同研究チームはこれまで、未修飾芳香族化合物の炭素-水素結合を直接利用し、一挙に芳香環を拡張する一段階縮環π拡張(一段階APEX)法を開発してきました注1~3)。APEX法は、原料の事前官能基化を省いて、既存の多環芳香族炭化水素(PAH)から縮環芳香族骨格を迅速に構築できる点が特長です。しかし従来法では、利用できるπ拡張剤の種類が限られ、得られるナノグラフェンの骨格も比較的単純なものに偏っていました。特に、立体的に混み合った複数の芳香環を導入し、平面構造だけでなく湾曲した構造や、異なる大きさの環を含む多様な環融合様式をつくり分けることは困難でした。そこで伊丹主任研究員らは、直接アリール化[6]と環化を分離した二段階縮環π拡張(二段階APEX)法に着目し、使用できるアリール化剤を拡張することで、ナノグラフェンの構造多様性を飛躍的に高めることを目指しました(図1b)。
- 注1)"Cycloaddition-based retrosynthetic logic for the diversification and molecular editing of polycyclic aromatic hydrocarbons" Sajan Pradhan, Rikuou Tanase, Kazuma Amaike, Taichi Koike, Hiroshi Masai, Kenichiro Itami, Chem. Rev. 2026, 126, ASAP. DOI: 10.1021/acs.chemrev.6c00372
- 注2)2024年8月22日プレスリリース「小さいナノカーボンで正孔を輸送できる」
- 注3)"Diversity-oriented synthesis of nanographenes enabled by dearomative annulative π-extension" Wataru Matsuoka, Hideto Ito, David Sarlah, Kenichiro Itami, Nature Commun. 2021, 12, 3940. DOI: 10.1038/s41467-021-24261-y
研究手法と成果
共同研究チームはまず、代表的なPAHであるフェナントレンやピレン類に対し、ナフタレン骨格を持つ多様なアリールトリメチルシラン[7]を反応させました(図2)。パラジウム錯体と酸化剤のオルトクロラニルを用いることで、PAHの特定の炭素-水素結合を直接アリール化し、複数の芳香環が立体的に混み合ったポリアリール中間体を合成しました(図2上)。一般に、分子サイズの大きな応剤の反応性は低下しやすいですが、今回の反応系では、適度な立体障害[8]が副反応であるアリールトリメチルシラン同士のホモカップリング(同一の化学物質同士の連結反応)を抑え、目的物の収率向上につながる例が見いだされました。これにより、置換様式や立体的混雑度の異なる幅広いアリールトリメチルシランと、複数種のPAHの組み合わせが可能なことを示しました。
図2 フェナントレンやピレン類(代表的なPAH)に対しての直接アリール化反応
- (上)パラジウム錯体と酸化剤のオルトクロラニルを用い、多環芳香族炭化水素(PAH)をアリール化剤のアリールトリメチルシランで直接アリール化し、複数の芳香環が立体的に混み合ったポリアリール中間体を合成した。
- (下)代表的なPAHであるフェナントレン、ピレン、歪んだナノカーボン分子に対し、ナフタレン骨格を持つ多様なアリールトリメチルシランを反応させた。
次に、得られたポリアリール中間体を、2,3-ジクロロ-5,6-ジシアノ-p-ベンゾキノン(DDQ)とトリフルオロメタンスルホン酸(TfOH)で酸化的に環化しました。その結果、コーブ領域[9]を持つ複雑に縮環したナノグラフェン、ならびに高度に縮環した六角形状ナノグラフェンなど、8~10個の環から成る多様な骨格を合成できました(図3a)。高度に縮環した六角形状のナノグラフェンの合成は、1960年のドイツの有機化学者エリック・クラー(Erich Clar)らによる報告に続いて2番目の例となります。また、本研究手法による合成の方がより簡便で効率的な代替方法になり得ます。さらに他の例として、環化反応の際、通常の六員環のみから成る生成物に加えて、五員環・六員環・七員環が連続して融合した予想外のナノグラフェンが生成されました(図3b)。
図3 環化反応を用いたナノグラフェンの合成
- a)ポリアリール中間体を、DDQとTfOHで酸化的に環化した結果、コーブ領域を持つ複雑に縮環したナノグラフェン、ならびに高度に縮環した六角形状ナノグラフェンなど、8~10個の環から成る多様な骨格を合成できた。
- b)環化反応の際、通常の六員環のみから成る生成物に加えて、五員環・六員環・七員環が連続して融合したナノグラフェンが生成された。
五員環・六員環・七員環が連続して融合したナノグラフェンについては、単結晶X線構造解析[10]により、平面から大きく外れた湾曲構造を持ち、分子内の二つの部分平面が34.8度傾いた「負の曲率」を示すことが分かりました。結晶中では、分子が180度ずつ回転しながら柱状に積層し、分子間に弱いπ-π相互作用[11]を形成していました(図4)。この湾曲型ナノグラフェンは440~570ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)に幅広い吸収を示し、576nmをピーク極大とした橙色発光を示しました。
図4 五員環・六員環・七員環が連続して融合したナノグラフェンの構造
五員環・六員環・七員環が連続して融合したナノグラフェンの単結晶X線構造解析。分子構造を上から見た図(左)、横から見た図(中)、分子内の二つの部分平面が34.8度傾いた「負の曲率」を示す図(右)。
以上により、二段階APEX法が、既知骨格を効率よく合成するだけでなく、従来は予測や合成が難しかった非平面ナノグラフェンと、その特徴的な光・電子特性を発見するための有力な方法であることを示しました。
今後の期待
本研究により、単純な未修飾PAHと、構造を柔軟に設計できるアリールトリメチルシランを組み合わせ、わずか二段階で多様なナノグラフェンへ変換する合成基盤が確立されました。今後、アリールトリメチルシラン側の芳香環、置換基、ヘテロ元素、立体的混雑度をさらに拡張することで、平面、湾曲、ねじれ、空孔など、多彩な形状と電子構造を持つ分子ナノカーボンを系統的に創製できると期待されます。
特に、本手法では環化の過程で予想外の環融合構造が生じる可能性があり、既知化合物の効率的合成にとどまらず、未踏の炭素骨格や物性を発見する「探索型合成」の手段としても有用です。今後、環の数やつながり方、分子の曲率と、吸収・発光、酸化還元、電荷輸送、分子集合などの性質との関係を体系化することで、目的とする機能から逆算してナノグラフェンを設計することにつながります。将来的には、有機半導体、発光材料、光センサー、太陽電池をはじめとするエネルギー変換材料などに適した分子の探索を加速し、原子レベルで構造を制御した次世代炭素材料の開発に貢献すると期待されます。さらに、計算化学やデータ科学と組み合わせることで、膨大な候補構造の中から有望な分子を効率よく選び出し、合成・物性評価へつなげる展開も期待されます。
補足説明
- 1.多環芳香族炭化水素(PAH)、未修飾PAH
多環芳香族炭化水素(PAH)は、炭素原子と水素原子だけから成り、ベンゼン環のような芳香族環が二つ以上、辺を共有してつながった化合物の総称(下図参照)。PAHを原料に、芳香族化合物同士を連結し、脱水素環化と呼ばれる手法でナノグラフェン([2]参照)が合成できる。本研究での未修飾PAHとは、反応の目印となる置換基をあらかじめ導入していないPAHのことであり、これを出発原料として直接利用している。PAHはPolycyclic Aromatic Hydrocarbonの略。

- 2.ナノグラフェン
グラフェンの一部分を、原子のつながり方が明確な1個の分子として切り出したような、ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)サイズの炭素分子。大きなシート状のグラフェンとは異なり、ナノグラフェンでは分子の端(エッジ)、環の数、環同士のつながり方を原子単位で設計できる。そのため、同じ炭素を主成分とする分子でも、平面、湾曲、ねじれなどの形や、光の吸収・発光、電気的性質が大きく変わる。五員環や七員環を六員環の並びに組み込むと、平らな構造が曲がることもある。 - 3.ナフタレン骨格
二つのベンゼン環が一辺を共有してつながった分子構造。ナフタレンの分子式はC10H8で、PAHの最も単純な例の一つである。「骨格」とは、分子に付いている細かな置換基をいったん除いて見たときの、原子同士の基本的なつながり方を指す。本研究では、置換基の位置や周囲の混み合い方が異なるさまざまなナフタレン骨格を、ナノグラフェンを拡張するための部品として用いた。 - 4.二段階縮環π拡張(二段階APEX)法
π拡張とは、新しい芳香環をつなぎ、分子のπ電子系が広がる範囲を大きくすることをいう。本研究の二段階APEX法では、まずPAHの炭素-水素結合の水素をナフタレン骨格で置き換える直接アリール化([6]参照)を行い、次に新たな炭素-炭素結合をつくって環を閉じる酸化的環化を行う。APEXはAnnulative π-Extension(環化を伴うπ拡張)の略称。 - 5.クロスカップリング反応
パラジウムなどの遷移金属を触媒として、異なる二つの有機分子の炭素部分を結び、新しい炭素-炭素結合をつくる反応の総称。複雑な医薬品や有機材料を組み立てる代表的な方法である。一般的なクロスカップリングでは、結合させる位置にハロゲン、ホウ素などを含む反応性の置換基をあらかじめ導入しておく必要がある。この事前官能基化には別の合成工程が必要で、副生成物や廃棄物も生じる。本研究は、PAH側の炭素-水素結合を直接利用することで、この事前工程を減らしている。 - 6.直接アリール化
芳香環から水素原子を一つ取り除いた部分を「アリール基」と呼ぶ。直接アリール化は、芳香族化合物の炭素-水素結合をそのまま反応点として使い、水素を別のアリール基で置き換えて二つの芳香環を結ぶ反応である(下図参照)。通常のクロスカップリングで必要となることが多い事前官能基化を省けるため、合成工程と廃棄物を減らせる可能性がある。本研究では、パラジウム触媒により、アリールトリメチルシラン([7]参照)がもつナフタレン骨格をPAHへ直接結合させている。

- 7.アリールトリメチルシラン
ベンゼン環やナフタレン環などから成るアリール基(Ar)が、トリメチルシリル基-Si(CH3)3に結合した有機ケイ素化合物。反応式ではAr-SiMe3と略して表されることが多い。一般に比較的安定で取り扱いやすく、芳香環の種類や置換基を変えることで多様な構造を準備できる。本研究では、パラジウム触媒と酸化剤の作用により炭素-ケイ素結合が切れ、アリール基がPAHへ移って新しい炭素-炭素結合を形成した。このアリールトリメチルシランが、ナノグラフェンへ新たな芳香環を加えるπ拡張剤として働く。 - 8.立体障害
原子や分子が物理的に近づき過ぎることで空間的な衝突や干渉が生じ、自由な構造変化や結合を妨げる現象。分子の構造や反応性、結合様式に制限を与える要因として働く。 - 9.コーブ領域
多環芳香族分子の外周にできる、英語のcove(小さな入り江)に似た深いくぼみ部分。くぼみの両側にある炭素原子や水素原子が互いに近づくため、立体的な反発が生じやすい。その結果、分子が完全な平面を保てず、曲がったりねじれたりすることがある。本研究では、ポリアリール中間体を酸化的に環化することで、このコーブ領域を持つ複雑に縮環したナノグラフェンを合成した。 - 10.単結晶X線構造解析
原子や分子が規則正しく並んだ一粒の結晶(単結晶)へX線を照射し、X線がさまざまな方向へ回折するパターンから、結晶中の原子の3次元配置を決定する方法。原子間の結合距離や角度、分子の曲がり方、分子同士の並び方まで詳しく調べられる。顕微鏡で分子をそのまま撮影する方法ではなく、回折データを数学的に解析して電子の分布と原子位置を求める。本研究では、合成したナノグラフェンが平面から大きく湾曲し、二つの部分平面が34.8度傾いていることをこの方法で明らかにした。 - 11.π―π相互作用
ベンゼン環などの芳香環の面同士の間に働く、共有結合より弱い非共有結合性の相互作用。芳香環は完全に重なる場合だけでなく、少しずれて重なる場合も多い。一つ一つの相互作用は弱いが、多数集まると分子の積み重なり方や結晶構造が左右されて、発光や電荷の移動にも影響する。
共同研究チーム
理化学研究所 開拓研究所 伊丹分子創造研究室
主任研究員 伊丹 健一郎(イタミ・ケンイチロウ)
(環境資源科学研究センター 拡張ケミカルスペース研究チーム チームディレクター)
名古屋大学 大学院理学研究科
准教授 伊藤 英人(イトウ・ヒデト)
博士前期課程学生(研究当時)桂川 穂奈美(カツラガワ・ホナミ)
博士後期課程学生(研究当時)遠山 祥史(トオヤマ・ヨシフミ)
博士後期課程学生 三河 咲太(ミカワ・ショウタ)
博士後期課程学生(研究当時)川原 巧(カワハラ・コウ)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「分子ナノカーボンバイオロジーの開拓(研究代表者:伊丹健一郎、JP25H00429)」、同基盤研究(B)「溶液・固体反応を駆使したポストナノカーボン合成化学(研究代表者:伊藤英人、JP25K01764)」、同学術変革領域(B)「方法論開発が拓くラダーポリマー合成化学(研究代表者:伊藤英人、JP25H01408)」「ラダーポリマー科学:二本の結合が紡ぐ革新(研究代表者:井改知幸、研究分担者:伊藤英人、JP25H01406)」、同特別推進研究「メカノケミカル触媒が拓く有機合成のパラダイム転換(研究代表者:伊藤肇、研究分担者:伊藤英人、JP26H00002)」、同特別研究員制度DC1(川原巧)、科学技術振興機構(JST)先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)「カーボンを基盤とした材料・生体インターフェイス科学(研究代表者:伊丹健一郎、JPMJAP2508)」、同次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)「東海国立大学機構メイク・ニュー・スタンダード次世代研究事業(研究代表者:三河咲太、JPMJSP2125)」「東海国立大学機構融合フロンティア次世代リサーチャー事業(研究代表者:遠山祥史、JPMJSP2125)」、近藤記念財団(研究代表者:伊藤英人、2022-03)、永井科学技術財団(研究代表者:伊藤英人)、マツダ財団研究助成(研究代表者:伊藤英人)による助成・支援を受けて行われました。
また、量子化学計算については自然科学研究機構岡崎共通研究施設計算科学研究センター施設利用(B)「新奇ナノカーボン・共役ラダー分子群創出に向けた合理的な分子・反応・機能デザイン(研究代表者:伊藤英人、23-IMS-C061、24-IMS-C059、25-IMS-C061、26-IMS-C060)」を利用して行われ、その内一部はキール大学(ドイツ)ライナー・ヘルゲス(Rainer Herges)教授らが無償提供するAICD(Anisotropy of the Induced Current Density)プログラムを用いて行われました。
原論文情報
- Honami Katsuragawa, Yoshifumi Toyama, Shota Mikawa, Kou P. Kawahara, Hideto Ito, and Kenichiro Itami, "Diversity-Oriented Two-step Annulative π-Extension Enables Access to Structurally Complex Nanographenes", Angewandte Chemie International Edition, 10.1002/anie.2205198
発表者
理化学研究所
開拓研究所 伊丹分子創造研究室
主任研究員 伊丹 健一郎(イタミ・ケンイチロウ)
(環境資源科学研究センター 拡張ケミカルスペース研究チーム チームディレクター)
名古屋大学 大学院理学研究科
准教授 伊藤 英人(イトウ・ヒデト)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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