理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター 人間認知・学習研究チームの柴田 和久 チームディレクター、渚 ソフィア 基礎科学特別研究員(研究当時、現客員研究員)、イーサン・オブラク 研究員(研究当時)らの国際共同研究チームは、二つの課題を同時に行うマルチタスク(ながら作業)により、最大握力を持続する運動課題の成績が向上する現象を発見しました。
本研究成果は、一般にパフォーマンス(成績)の低下を招くといわれているマルチタスク状況下でも、特定の課題の組み合わせによってパフォーマンスの向上が見込めることを示しており、教育や技能訓練、リハビリテーションへの応用にもつながることが期待されます。
今回、国際共同研究チームは、実験参加者に最大握力を維持する運動課題を行ってもらいながら、身近な物や動物の画像が次々と切り替わる動画を提示しました。この動画が単に提示されている場合に比べて、動画に出てきた画像を覚えるという認知的な課題が課せられた場合に、運動課題の成績が向上しました。覚醒度[1]の指標である瞳孔径の計測から、認知課題による瞳孔径の増加と運動課題の成績向上の関係が示されました。これらの結果は、認知的な負荷(認知負荷[2])によって覚醒度を高めることで、筋力などの身体能力を増進し得ることを示しています。
本研究は、科学雑誌『iScience』オンライン版(9月30日付:日本時間10月1日)に掲載されました。
本研究成果の概要
背景
私たちは日常生活の中で、二つ以上のことを同時に行うことがあります。例えば、散歩をしながら音楽をきいたり、料理をしながら会話をしたりする「ながら作業」です。一般に、このように複数の課題を同時に行う「マルチタスク」では、一つのことだけを行う場合よりもパフォーマンス(成績)が低下すると考えられています。複数の課題に注意や脳の処理能力を振り分ける必要があるため、課題同士が邪魔をし合うからです。
一方、何らかの課題に取り組むと、脳や体は活動に適した状態へと変化します。例えば、難しい課題に集中したり大きな報酬を得ようとしたりすると、瞳孔が開き、より高い覚醒状態になることがあります。このような状態変化は、脳や体の活動性が高まった状態と関係していることが知られています。
そこで国際共同研究チームは、二つの課題が互いにあまり邪魔をしない場合には、マルチタスクによって生じる状態の変化が、課題の成績を高めることがあるのではないかと考えました。つまり、「二つのことを同時に行うと成績が下がる」という従来の見方とは反対に、条件によっては、一つのことだけを行うよりも二つのことを同時に行った方が高い能力を発揮できる可能性を検証しました。
研究手法と成果
国際共同研究チームは、握力を出し続ける運動課題と、画面に提示される画像に対して判断を行う認知課題を組み合わせ、三つの実験を行いました。
まず、24人の参加者に、できるだけ強い力で力を測るセンサーを12秒間手で握り続けてもらいました。同時に、画面に次々と表示される身近な物や動物の画像を見てもらいました。
画像を見る課題には三つの条件を設けました(図1)。一つ目は、画像をただ見るだけの条件です。二つ目は、現在の画像が一つ前に見た画像と同じかどうかを判断する条件(1-back条件)です。三つ目は、現在の画像が二つ前の画像と同じかどうかを判断する条件(2-back条件)です。二つ前の画像を覚えておく必要がある三つ目が、最も難しく、認知的な負荷(認知負荷)の高い条件です。
図1 運動課題と三つの認知課題
参加者は、力を測るセンサーを手で握り、12秒間、できるだけ強い力を維持するという運動課題を行った。同時に、目の前の画面に身近な物や動物の画像が次々と表示され、この画像に対して、三つの条件で認知課題が課せられた。一つ目の条件では、画像をただ見ることが求められた。二つ目の条件では、現在の画像が一つ前に見た画像と同じだった場合にボタンを押すことが求められた(1-back条件)。三つ目の条件では、現在の画像が二つ前の画像と同じだった場合にボタンを押すことが求められた(2-back条件)。運動課題の成績は、認知課題の難易度が高くなるにつれて上昇した。
その結果、画像をただ見ているときに比べて、画像について判断する課題を追加されているときの方が、参加者は12秒間にわたりより大きな握力を維持できました。発揮された握力が大きいほど、成績が高いと評価しました。さらに、より難しい課題を同時に行っている三つ目の条件で、握力を維持する成績が最も高くなりました。一方、認知課題の成績については、握力の課題を同時に行ったことによる明確な変化は見られませんでした。
次に、30人の参加者を対象に同じ実験を行い、課題中の瞳孔の大きさも測定しました。瞳孔は、脳や体の活動性(覚醒度)が高まると大きくなることが知られており、活動状態を知るための手掛かりの一つとして利用されています。その結果、認知課題が難しくなるほど瞳孔が大きく開きました。さらに重要なことに、同じ参加者の中でも、ある試行で瞳孔が普段より大きく開いたときほど、その試行ではより大きな握力を維持していました。この結果は、認知課題を行うことで覚醒度が高まり、それが運動課題の成績向上につながった可能性を示しています。
さらに、17人の参加者を対象に、認知課題の難しさを変える代わりに、その課題の成功で得られる金銭的な報酬を変えて実験を行いました。同じ認知課題でも、課題がうまくいったときに得られる報酬が小さい条件と大きい条件を比較した結果、大きな報酬が得られるときには、小さな報酬のときよりも握力を維持する成績も高くなりました。また、瞳孔が大きく開いた試行ほど、より大きな握力が発揮されていたのは、難しさを変えた実験と同様でした。
以上の結果から、二つの課題が互いに邪魔をしない条件では、認知課題を同時に行うことが、もう一方の運動課題の成績を高める場合があることが分かりました。
これまでマルチタスクの研究では、「複数のことを同時に行うと、脳の限られた処理能力を奪い合うため成績が低下する」という側面が主に研究されてきました。今回の結果は、それとは反対に、別の課題を行うことで脳や体の活動状態が高まり、そのプラスの効果が課題同士の邪魔によるマイナスの効果を上回る場合があることを示しています。
ただし、本研究では脳や体の活動状態そのものを直接操作したわけではありません。また、瞳孔の大きさは活動性の高まりだけでなく、緊張の度合いや報酬への期待などによっても変化します。そのため、今回見つかった成績向上が、脳や体の活動性の高まりだけによって生じたと断定することはできないという点には、注意が必要です。
今後の期待
本研究は、「マルチタスクは常に能力を低下させる」という一般的な見方を見直す必要があることを示しています。ただ、ここで重要なのは、二つのことを同時に行えばいつでも成績が良くなるということではありません。本研究では、互いにあまり邪魔をしない単純な認知課題と運動課題を組み合わせた場合に、運動課題の成績が向上しました。課題同士が強く干渉する場合や、同時に行う課題が難し過ぎる場合には、従来知られているように成績が低下することもあり得ます。
今後、どのような種類の課題を組み合わせれば成績向上が生じるのか、また、脳や体のどのような状態変化がその効果を生み出しているのかを明らかにする必要があります。特に、覚醒度に関係する脳領域に介入するなどの方法で覚醒度を直接変化させることで、今回見つかった効果の原因を明らかにすることができるかもしれません。
将来的には、この仕組みを訓練やリハビリテーションに利用できる可能性があります。例えば、単純な運動を行う際に適度な難しさの認知課題を組み合わせることで、より大きな力を出したり、運動を長く続けたりできれば、神経の損傷後のリハビリテーションや、疲労などによって十分な運動能力を発揮しにくい場合に、認知課題を「邪魔するもの」ではなく、運動能力を一時的に引き出すための手段として利用できるかもしれません。
今後、さまざまな運動や対象者で効果の検証を重ね、「ながら作業」を避けるのではなく、適切に組み合わせ人の能力を引き出す新たな方法につながることが期待されます。
補足説明
- 1.覚醒度
人間や動物が、どれくらい活動する準備ができているかを示す、神経系の活性状態の度合い。 - 2.認知負荷
「脳のメモリの消費量」のこと。人間の脳が一度に処理できる情報の容量には限界があり、それをどれだけ使っているかを示す精神的コスト。
国際共同研究チーム
理化学研究所 脳神経科学研究センター 人間認知・学習研究チーム
チームディレクター 柴田 和久(シバタ・カズヒサ)
基礎科学特別研究員(研究当時)渚 ソフィア(ナギサ・ソフィア)
(現 客員研究員)
研究員(研究当時)イーサン・オブラク(Ethan Oblak)
カリフォルニア工科大学(米国)生物・生物工学部
教授 下條 信輔(シモジョウ・シンスケ)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(A)「興奮抑制バランス操作による脳の可塑性メカニズムの理解(研究代表者:柴田和久、JP19H01041)」、同学術変革領域研究(B)「潜在認知過程による限界の制御とその突破(研究代表者:柴田和久、JP20H05715)」、科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発(研究代表者:南澤孝太、JPMJMS2013)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Sofia Nagisa, Ethan Oblak, Shinsuke Shimojo, Kazuhisa Shibata, "Multitasking boosts muscular endurance task performance due to elevated arousal", iScience, 10.1016/j.isci.2026.117635
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 人間認知・学習研究チーム
チームディレクター 柴田 和久(シバタ・カズヒサ)
基礎科学特別研究員(研究当時)渚 ソフィア(ナギサ・ソフィア)
(現 客員研究員)
研究員(研究当時)イーサン・オブラク(Ethan Oblak)
柴田 和久
渚 ソフィア
イーサン・オブラク
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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