理化学研究所(理研)開拓研究所 濱崎非平衡量子統計力学理研白眉研究チームの千葉 侑哉 基礎科学特別研究員(研究当時、現 客員研究員)、濱崎 立資 理研白眉研究チームリーダー(数理創造研究センター 数理基礎部門 上級研究員)、量子コンピュータ研究センター 量子計算理論研究チームの米田 靖史 基礎科学特別研究員(研究当時、現 客員研究員)、東京大学 大学院理学系研究科 附属フォトンサイエンス研究機構の清水 明 特任研究員/名誉教授(大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)特任教授)の共同研究グループは、熱力学における「熱平衡状態」と「操作」を量子力学的に表現する枠組みを構築し、それを用いて「熱力学第二法則」の最も重要な表現である「エントロピー増大則」が成り立つことを証明しました。
本研究成果は、ミクロ世界の法則である量子力学から、マクロ世界の法則である熱力学がどのようにして創発するかを理解することにつながり、さらには量子系の制御の指針を与えると期待されます。
近年、量子力学における状態の中には、熱力学における熱平衡状態に対応するものが数多く存在すると考えられています。一方、これらの状態に、量子力学でこれまで考えられてきたようなさまざまな操作を施すと、熱力学第二法則に矛盾してしまうようなケースが存在するため、量子力学と熱力学の整合性が問題となっていました。
今回、共同研究グループは、マクロに意味のある物理量を提案し、それを使って、熱平衡状態、熱力学的な操作、エントロピーを、量子力学的に定式化しました。その結果、どんな熱平衡状態についても、熱力学第二法則の基礎的な表式であるエントロピー増大則が、量子力学から導かれることの証明に初めて成功しました。
本研究は、科学雑誌『PRX Quantum』オンライン版(11月3日付:日本時間11月4日)に掲載されました。本研究成果は、米国物理学会の報道機関向け広報対象論文に選出されました。
背景
マクロな物質は、一方向の状態変化は可能なのに逆方向の状態変化は不可能という、「不可逆性」を示すことがあります。例えば冷水と熱湯を混ぜて放置するとぬるま湯になりますが、その逆は起こりません。放置するだけでなくピストンなどで操作することも許す一般の場合でも、熱の出入りを許さない限り(つまり熱力学的断熱操作[1]である限り)、元の温度の冷水と熱湯には戻せません。このような不可逆性があるのは、マクロな物質が「熱力学第二法則」と呼ばれる基本法則に従うからです。
熱力学第二法則にはさまざまな表現がありますが、特に重要なのは、上の例を一般的にした場合に相当する、「断熱操作の第二法則」です。それは、「プランクの原理[2]」や「エントロピー増大則」といった法則として表されます。プランクの原理とは、例えば気体を閉じ込めた断熱容器をピストンで膨張・圧縮させる操作において、ピストンの位置を最初と最後で同じにする限り、マクロな量の仕事(この例で言えば、ピストンを押す力と移動距離の積で決まるエネルギー移動の一形態。仕事以外のエネルギー移動は「熱」と呼ばれる)を取り出すことはできないという法則です。これをさらに一般化したのがエントロピー増大則で、ピストンの位置のような制御条件を最初と最後で同じにするとは限らない一般の断熱操作では、仕事を取り出すことは可能になるものの、熱力学エントロピーは減少しない、という法則です。
これらの不可逆な法則が可逆な量子力学の法則からどのように現れるのかは、長年の未解決問題でした。一方、近年の孤立量子多体系[3]の研究では、さまざまな量子状態[4]が熱力学の熱平衡状態を表し得ることが明らかになってきました。特に、純粋量子状態[5]にも熱平衡状態に対応するものが多数あることが分かっています。ところが、そのような純粋量子状態に、量子力学で許される全てのユニタリ操作[6]を行えるとすると、どのような純粋量子状態にでも移すことができてしまうので、プランクの原理に反します。また、量子情報理論で標準的に用いられるフォン・ノイマンエントロピー[7]は純粋量子状態ではゼロであり、その状態が熱平衡を表していても熱力学エントロピーとは一致しません。このように、純粋量子状態にある熱平衡状態と熱力学第二法則はどのように両立するのかという基本的な問題が、大きな課題として残されていました。
本研究では、量子力学で数学的に許される全てのユニタリ操作が、熱力学で想定されるマクロな操作に対応するわけではないことに着目しました。熱力学では磁場や体積などのマクロな量を外部から操作するのに対し、任意の量子操作には、物質を構成する膨大な数の自由度を極めて精密に制御する操作も含まれます。そこで本研究では、熱平衡状態、熱力学的操作、エントロピーをいずれもマクロに意味のある物理量を使って量子力学的に定式化することで、この問題に取り組みました。
研究手法と成果
共同研究グループはまず、熱力学で扱われるエネルギーや磁化などが、系の各部分からの寄与を足し合わせて得られる量であることに着目しました。この性質を持つ量子力学的な物理量を相加物理量[8]と呼びます。そして、系全体やそれを何分割かした部分系について、全ての相加物理量が熱平衡状態と同じマクロな値を示す量子状態を、熱平衡状態を表す量子力学的表現として定式化し、「iMATE[9]」と名付けました。これにより、純粋量子状態も含めて、どんな量子状態が熱平衡状態であるかを明確にすることができました。
次に共同研究グループは、熱力学的断熱操作に対応する量子力学的操作を定式化しました。具体的には、磁場など有限個の外部の制御変数[10]を時間的に変化させ、それらが相加物理量に作用することで生じる量子状態の時間発展(図1左上)をマクロ操作[11]として定式化しました。これにより、iMATEに対して、どんな量子力学的操作が熱力学的操作に対応するかが明確になります。例えば、物質を構成する個々の自由度を一つずつ精密に操作すること(図1左下)はこうした熱力学的操作には含まれません。
図1 マクロおよびミクロ操作に対して考え得る遷移と本研究で不可能性を証明した遷移
左上は平衡状態を用意しマクロな操作を施した場合。左下は同じ状態にミクロな操作を施した場合。これらの操作はシュレディンガー方程式に従う量子状態の時間発展で表され、最終的にエントロピーが増大した平衡状態(右上)や減少した平衡状態(右下)に達するケースが考えられる。本研究では、マクロな操作の場合について、エントロピーが減少するケースは決して起こらないことを証明した。(Image: Issey Takahashi)
以上の定式化の下で、共同研究グループは、まず熱力学第二法則の一つ目の形式であるプランクの原理を証明しました。すなわち、任意のiMATEにある量子状態から出発し、外部の制御変数の値を最終的に元に戻すようなマクロ操作を行った場合、系のエネルギーを、マクロに見ても無視できないほどの大きさだけ減少させることはできないことを示しました。閉じた系ではこのエネルギー減少量が外部へ取り出す仕事に対応するため、これは、iMATEにあるどんな量子状態からも、マクロ操作によってマクロな量の仕事を取り出すことはできないことを意味します。量子力学で任意のユニタリ操作を許した場合にはどんな純粋量子状態からも仕事を取り出せたのに対し、熱力学的に意味のある操作に限定すると、iMATEにある量子状態なら、たとえ純粋量子状態でもプランクの原理が成立することを示した結果です。
続いて、エントロピー増大則を扱うため、共同研究グループは量子マクロエントロピー密度[12]を新たに導入しました。従来は、熱力学エントロピーとは一致しない、フォン・ノイマンエントロピーなどの別の「エントロピー」が調べられることが多く、そのため熱力学とはなかなか結び付きませんでした。それに対して、本研究の量子マクロエントロピー密度は、iMATEを表す全ての量子状態について、たとえそれが純粋量子状態であっても、熱力学エントロピー密度と一致することが証明されました。そして、iMATEにある量子状態にマクロ操作を行い、その後、制御変数を一定値に固定した状況での量子状態の時間発展で系が緩和していく過程を分析しました。その結果、緩和過程について物理的に自然な条件の下で、量子マクロエントロピー密度が減少しないことを証明しました(図1右下)。特に、緩和過程での最終状態が再び熱平衡状態となる通常の熱力学系では、これは「熱力学的断熱操作によって熱力学エントロピーは減少しない」という熱力学のエントロピー増大則そのものに帰着します。
このようにして、仕事を取り出せないこととエントロピーが減少しないことという、量子力学的には互いに異なる二つの熱力学第二法則をそれぞれ独立に量子力学から導くことに成功しました。
今後の期待
本研究では、熱力学で意味を持つマクロな物理量、熱平衡状態、操作を量子力学的に同定することで、純粋量子状態を含む量子多体系から熱力学第二法則がどのように現れるかを示しました。これは、ミクロな法則である量子力学とマクロな法則である熱力学が、同じ物質でどのようにして同時に矛盾なく成り立つかを理解することにつながると期待されます。
今回の結果は、厳密には、系を大きくしていったときにマクロ操作の操作時間が長くならないような場合に必ず成り立つことを証明したものです。一方、実際の熱力学では、ピストンをゆっくりと動かす場合など、系が大きくなるほど長い操作時間を必要とする場合があるため、そのような場合への拡張は重要です。本研究では、そのような長時間の操作の場合に、そのまま今回の理論を適用すると、熱力学第二法則の反例がつくれてしまうことまで分かりました。この反例を、さまざまな量子力学的時間発展の模倣が可能な物理系である量子シミュレーターなどで検証することで、熱力学第二法則が成立する条件をより深く理解できると期待されます。そして、熱力学第二法則がそのような長時間操作でも成り立つためには、量子状態や操作についてどんな追加条件が必要になるかを明らかにすることが次の課題となります。
補足説明
- 1.熱力学的断熱操作
外部と熱のやりとりをせずに、外部から熱力学系を制御する操作。例えば、断熱された容器のピストンを動かしたり、外部磁場を変化させたりする操作が対応する。なお、量子力学の「断熱定理」における断熱とは異なる概念であり、制御変数([10]参照)を激しく変化させるような過程を含む。 - 2.プランクの原理
熱力学第二法則の一つの表現。熱平衡状態から出発して操作し、体積や磁場などの外部の制御変数を最終的に元の値に戻す断熱操作によって、系のエネルギーを減少させることはできないという原理である。これは断熱された系から仕事を取り出せないことに対応する。 - 3.孤立量子多体系
多数の量子力学的構成要素(粒子やスピンなど)から成り、構成要素の間には相互作用はあるものの、外部とは相互作用していない系。 - 4.量子状態
量子力学で記述される状態。量子力学では、どんな状態においても全ての物理量が同時に確定した値を取ることはなく、何らかの物理量の値が確率的にばらつく。 - 5.純粋量子状態
量子状態のうち、複数の状態が確率的に混ざった状態として表すことができない状態。逆に、複数の状態が確率的に混ざった状態は「混合状態」と呼ばれる。 - 6.ユニタリ操作
量子力学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式による時間発展を利用した操作で、純粋量子状態を別の純粋量子状態へと移す。どんなユニタリ操作に対しても、それを元に戻すようなユニタリ操作が存在するため、可逆な操作である。 - 7.フォン・ノイマンエントロピー
量子状態の確率的な混合の度合いを表す代表的な量。混合状態では一般に正の値を取るが、全系が純粋量子状態なら常にゼロとなる。このため、熱平衡を表す純粋量子状態の熱力学エントロピーとは大きく異なる。 - 8.相加物理量
マクロな系を複数の部分に分けたとき、それぞれの部分からの寄与を足し合わせることで全体の値が得られるような量子力学における物理量。エネルギーや粒子数、全磁化などが代表例である。 - 9.iMATE
本研究で導入した、熱平衡状態の量子力学的な概念。全ての相加物理量のマクロな値が、対応する熱平衡状態の値と一致する量子状態を指す。純粋量子状態もこの条件を満たし得る。iMATEはinfinite-observable macroscopic thermal equilibriumの略。 - 10.制御変数
ピストンの位置や磁場のように、その値を制御することで、外部から系に干渉することができるような変数。 - 11.マクロ操作
本研究で導入した、熱力学的断熱操作の量子力学的概念。磁場など有限個の外部の制御変数を時間的に変化させることで生じるユニタリ操作を指す。この操作での仕事は、制御変数の変化と、その制御変数の対となる相加物理量(例えば磁場の対となる相加物理量は全磁化)の積から決まる。 - 12.量子マクロエントロピー密度
本研究で導入した、量子状態に対するエントロピー密度。一定の大きさの領域上の量子状態を空間的に平均して得られる状態のフォン・ノイマンエントロピーから定義する。iMATEでは、純粋量子状態を含めて熱力学エントロピー密度と一致することを示した。
研究支援
本研究は、理研基礎科学特別研究員制度、理研TRIPイニシアティブ(HIKARI-COOL Tokyo)により実施し、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO「沙川情報エネルギー変換プロジェクト(研究代表者:沙川貴大、JPMJER2302)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業若手研究「量子多体系における速度限界の解明およびその制御への応用(研究代表者:濱崎立資、JP24K16982)」、同基盤研究(B)「多成分系の相共存の熱統計力学(研究代表者:清水明、JP23K22413)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Yuuya Chiba, Yasushi Yoneta, Ryusuke Hamazaki, Akira Shimizu, "Second law of thermodynamics in closed quantum many-body systems", PRX Quantum, 10.1103/3y8f-yrp8
発表者
理化学研究所
開拓研究所 濱崎非平衡量子統計力学理研白眉研究チーム
基礎科学特別研究員(研究当時、現 客員研究員)千葉 侑哉(チバ・ユウヤ)
理研白眉研究チームリーダー 濱崎 立資(ハマザキ・リュウスケ)
(数理創造研究センター 数理基礎部門 上級研究員)
量子コンピュータ研究センター 量子計算理論研究チーム
基礎科学特別研究員(研究当時、現 客員研究員)米田 靖史(ヨネタ・ヤスシ)
東京大学 大学院理学系研究科 附属フォトンサイエンス研究機構
特任研究員/名誉教授 清水 明(シミズ・アキラ)
(大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)特任教授)
発表者のコメント
今回の結果は、熱力学と量子力学がどのようにして同時に矛盾なく成り立っているかという基礎的な問題を、平衡状態の性質のみにとどまらず、状態遷移の段階にまで押し進めた結果の一つといえると思います。熱力学と量子力学は物理学者の自然に対する理解の根幹に関わる理論であり、今後、自然界の限界に挑戦するような技術を開発・発展させるためにも、こういった基礎的な研究の重要性は増していくのではないかと期待しています。(千葉 侑哉)
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理化学研究所 広報部 報道担当
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