理化学研究所(理研)仁科加速器科学研究センター イオン育種研究開発室の阿部 知子 室長、石井 公太郎 協力研究員(研究当時、現 客員研究員)、静岡県 農林技術研究所 果樹研究センターの大久保 貴博 研究員(研究当時、現 静岡県 農業局 農業戦略課 主任)の共同研究チームは、重イオンビーム[1]照射で作出した温州ミカンの新品種「春しずか」を識別できるDNAマーカー[2]の開発に成功しました。
本研究成果は、「春しずか」の迅速かつ正確な識別を可能にし、輸出を見据えた品種や育成者権の保護、原材料の適正な原産地表示など食の安全・安心に貢献することが期待されます。
温州ミカンの新品種「春しずか」の品種を保護し、育成者の権利を守るためには、「春しずか」のDNAマーカーが必要です。しかし、「春しずか」は静岡県の奨励品種「青島温州(あおしまうんしゅう)」とDNA配列の違いが極めて少ないため、「春しずか」のDNAマーカーの設計は非常に困難とされていました。
今回、共同研究チームは、次世代シーケンサー[3]を用いて、「春しずか」で誘発された変異を同定し、容易に品種を同定できるDNAマーカーの開発に成功しました。突然変異によって育成された系統が多い温州ミカンにおいて、品種を識別できるDNAマーカーの開発に成功したのは世界初です。
本研究は、科学雑誌『Breeding Science』の3月号への掲載に先立ち、オンライン版(2月13日付)に掲載されました。『Breeding Science』の3月号は、品種同定をはじめ、品種改良におけるDNAマーカー利用技術に関する特集号です。
「春しずか」(左)の収穫は「青島温州」(右)よりも1カ月程度遅くなる
背景
温州ミカンは、食味がよく、種子も少なく、皮がむきやすく食べやすいことから日本国内だけでなく、海外でも人気の果物です。また、ジュースやゼリーなどの加工食品の原材料としても利用されています。
1965年に静岡県の温州ミカンの奨励品種となった「青島温州」は「尾張温州」の枝変わり[4]として作出され、「春しずか」は「青島温州」の珠心胚実生(しゅしんはいみしょう)[5]から選抜した優良系統「S1152」の穂木[6]に重イオンビームを照射して作出されました注1~3)。
温州ミカンの品種改良は、枝変わりや珠心胚実生の利用による優良変異体の探索により発展してきました。枝変わりや重イオンビーム照射によって作出された突然変異体では、ゲノムDNAの差異が少ないため、実用的なDNAマーカーの開発は困難であり、これまで温州ミカンの品種を識別できるDNAマーカーの開発には成功していませんでした。特に「春しずか」と照射元である「青島温州」では、DNA配列の違いが極めて少なく、両者を区別できるDNAマーカーの設計は難しいとされていました。
しかし、「春しずか」の品種を保護して育成者の利益を守り、加工食品の原材料の原産地を適切に表示するためには、「春しずか」を識別できるDNAマーカーが必要です。
そこで、共同研究チームは、「春しずか」と「青島温州」を識別できるDNAマーカーの開発に挑みました。
- 注1)2021年12月8日お知らせ「春先に出荷可能な温州みかんの作出に成功」
- 注2)2022年2月8日お知らせ「YouTube『理研チャンネル』新着動画(プレスリリース解説『作業時期の集中を回避!温州みかんの新品種「春しずか」』)」
- 注3)2024年4月9日お知らせ「春先に出荷可能な温州ミカン『春しずか』を開発」
研究手法と成果
まず、「春しずか」と「青島温州」を次世代シーケンサーにより全ゲノムシーケンス(全ゲノムの塩基配列を解読)し、既にゲノム解読されている品種「宮川早生」のゲノムDNAを参照配列としてマッピングしました。
阿部室長率いるイオン育種研究開発室が整備した、ゲノムDNAに生じたさまざまな種類の変異を網羅的に検出できる変異検出パイプラインAMAP注4)を使用して変異解析した結果、「青島温州」にはなく「春しずか」に存在する変異として、スキャフォールド[7]00072注5)上のヘテロ接合型の20bpの挿入(図1のA)と、4番染色体上の30塩基対(bp)のヘテロ接合型[8]の欠失(図1のB)を同定しました(図1)。
図1 「春しずか」と「青島温州」の全ゲノムシーケンスとパイプラインAMAPの解析
「青島温州」にはなく「春しずか」に存在する変異として、スキャフォールド00072上のヘテロ接合型の20bpの挿入(緑色のバンドA)と、4番染色体上の30bpのヘテロ接合型の欠失(赤色のバンドB)を同定した。
次に、それぞれの変異を標的とするPCRプライマー[9]を設計し、22の温州ミカン品種または系統の新葉から抽出したゲノムDNAを鋳型としてポリメラーゼ連鎖反応(PCR)で増幅しました(図2)。
スキャフォールド00072の20bpの挿入を標的としたPCRの結果から、20bpの挿入は、系統S1152にも「春しずか」にも存在し、「青島温州」から系統S1152を選抜した過程で生じた自然突然変異と考えられました(図2上)。
一方、4番染色体の30bpの欠失を標的としたPCRの結果から、30bpの欠失は「春しずか」のみに存在し、重イオンビームによって誘発された突然変異と考えられました(図2下)。
図2 同定した変異を標的としたPCRの結果
22種類の温州ミカン品種や系統の葉から抽出したDNAを用いて、それぞれの変異を標的としたPCRを行った。各PCR産物に加え、両端のレーンには100bp刻みのDNA断片を含む標準DNAを電気泳動した。
- (上)スキャフォールド00072の20bpの挿入を標的としたPCRでは、全ての品種または系統から想定通り193bpの長さのバンドが得られ、系統S1152と「春しずか」にのみ20bp長い213bpの長さのバンド(図1のDNAマーカーAの緑色バンド)が検出された。
- (下)4番染色体の30bpの欠失を標的としたPCRでは、全ての品種または系統から想定通り200bpの長さのバンドが得られ、「春しずか」のみ30bp短い170bpのバンド(図1のDNAマーカーBの赤色バンド)が検出された。
これらの結果から、4番染色体上の30bpの欠失は「春しずか」と他の温州ミカンを識別することができるDNAマーカーであることが示されました。一般に系統S1152を基に栽培された温州みかんが現在市場に出回っていないことを考慮すると、スキャフォールド00072の20bpの挿入によって「春しずか」を識別することも可能です。果皮DNAを鋳型としたPCRでも同様の結果が得られました。
- 注4)Ishii et al., AMAP: A pipeline for whole-genome mutation detection in Arabidopsis thaliana. Genes Genet. Syst. 91(4):229-233 (2016).
- 注5)00072は今回使用したゲノムドラフト配列についてスキャフォールドの長さ順につけられた番号。
今後の期待
日本で育成された優良品種が国外へ流出して、海外で産地化されることにより、日本ブランドの信頼を低下させたり、輸出市場の拡大を妨げたりしています。日本で改良された優良品種が海外に許可なく持ち出されて栽培されて、その収穫物が加工品として日本に逆輸入された場合に、水際で差し止めるためには、DNAマーカーによる品種識別が必要です。特に果樹類の果実は、生食用の他に加工用としても利用されるため、適正な原材料表示のためには品種を識別する信頼度の高いDNAマーカーの開発が求められます。
本研究では、PCRを用いて温州ミカン「春しずか」を簡便に識別できるDNAマーカーを開発しました。「春しずか」は晩熟である(「青島温州」よりも収穫時期が1カ月遅くなる)だけでなく、浮皮(うきかわ)の発生率が低く、クエン酸含量が高いなど長期貯蔵に適した特性を示すため、3月または4月に市場に出荷できる品種として期待されています。また、静岡県は、令和9年から静岡県オリジナル品種として市場での販売を目指します。「春しずか」の栽培が広がるにつれ、育成者権侵害の懸念が生じますが、本研究の成果を活用することで、「春しずか」を迅速かつ簡便に識別することができるようになり、育成者権侵害を未然に防ぐとともに、ブランド保護強化へ貢献することが期待されます。本研究で用いた次世代シーケンサーを利用した変異解析手法は、強力なDNAマーカー開発技術として品種盗難の抑止に役立ち、育成者権の保護強化につながります。
本研究で用いた手法により、突然変異品種のDNAマーカーがさらに開発されることが期待されます。
補足説明
- 1.重イオンビーム
原子から電子をはぎ取ってつくられたイオンのなかで、ヘリウムイオンより重いイオンを重イオン、速度と方向がそろった重イオンの粒子束を重イオンビームと呼ぶ。 - 2.DNAマーカー
生物のゲノムDNA上に存在する特定の配列や変異を利用して、個体や品種の識別、遺伝的特徴の解析を行うための指標。 - 3.次世代シーケンサー
DNA配列を解読する機械。数千から数百万ものDNA分子を同時に配列決定することが可能である。 - 4.枝変わり
植物の枝や茎の一部に突然変異が起こり、その部分だけが他の部分と異なる性質を示す現象のこと。枝変わりが生じた枝を挿し木や接ぎ木に用いると、新しい植物体にその性質が固定される。 - 5.珠心胚実生(しゅしんはいみしょう)
温州ミカンは、多胚性(一つの種子に複数の胚(芽)を持つ)であり、胚には雑種胚(花粉の受精により親の遺伝子を引き継ぐ胚)と珠心胚(受精せず母樹の細胞分裂でできたクローン胚)がある。珠心胚より発生した実生を珠心胚実生という。珠心胚実生は遺伝的に種子親の形質を受け継ぐが、微細な変異により早生(わせ)や品質向上など優良形質を有する個体が発生することがある。 - 6.穂木
接ぎ木は果樹類で広く用いられている増殖法であり、台木と穂木が用いられる。接がれる方が台木、接ぐ方が穂木であり、穂木には枝が用いられる。 - 7.スキャフォールド
次世代シーケンサーによってゲノムを解読すると、最初は小さな断片(リード)がたくさんできる。同じ配列を持つリード同士をつなげると、コンティグという少し長い配列をつくることができる。さらに、コンティグ同士を順番や向きを推測して並べたものをスキャフォールドという。 - 8.ヘテロ接合型
温州ミカンは同じゲノム領域を2セット持っている(2倍体)。従って、あるゲノム領域には二つのコピーが存在する。その二つのコピーのうち片方に変異があり、もう片方は正常(野生型)である状態をヘテロ接合型という。 - 9.PCRプライマー
特定のDNA領域を増幅するために、その領域の両端に設計する25塩基(bp)程度の一本鎖DNA。
共同研究チーム
理化学研究所 仁科加速器科学研究センター イオン育種研究開発室
室長 阿部 知子(アベ・トモコ)
協力研究員(研究当時、現 客員研究員)石井 公太郎(イシイ・コウタロウ)
(現 量子科学技術研究開発機構 放射線医学研究所 計測・線量評価部 主任研究員)
テクニカルスタッフⅠ 白川 侑希(シラカワ・ユウキ)
静岡県 農林技術研究所 果樹研究センター
研究員(研究当時) 大久保 貴博(オオクボ・タカヒロ)
(現 静岡県 農業局 農業戦略課 主任)
上席研究員 渡村 加奈子(トムラ・カナコ)
科長(研究当時) 加藤 光弘(カトウ・ミツヒロ)
(現 静岡県 農林技術研究所 茶業研究センター 科長)
主任研究員(研究当時)寺岡 毅(テラオカ・ツヨシ)
(現 静岡県 中遠農林事務所 課長兼班長)
科長(研究当時)澤野 郁夫(サワノ・イクオ)
上席研究員(研究当時、現 主任)中嶌 輝子(ナカジマ・テルコ)
副主任(研究当時)加々美 裕(カガミ・ヒロシ)
(現 静岡県 志太榛原農林事務所 班長)
技師(研究当時)神尾 章子(カミオ・アキコ)
(現 静岡県 富士農林事務所 班長)
研究支援
本研究は、内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)次世代農林水産業創造技術「戦略的オミクス育種技術体系の構築(研究代表者:阿部知子)」による助成を受けて行われました。
本成果の公表に際し、有益な助言を賜った国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構果樹茶業研究部門カンキツ研究領域および公益財団法人かずさDNA研究所の清水徳朗氏に深く感謝します。
原論文情報
- Kotaro Ishii, Takahiro Okubo, Yuki Shirakawa, Kanako Tomura, Mitsuhiro Kato, Tsuyoshi Teraoka, Ikuo Sawano, Teruko Nakajima, Hiroshi Kagami, Akiko Kamio, Tomoko Abe, "Development of a DNA marker for cultivar identification of "Harushizuka", a new satsuma mandarin cultivar created by heavy-ion irradiation", Breeding Science, 10.1270/jsbbs.25046
発表者
理化学研究所
仁科加速器科学研究センター イオン育種研究開発室
室長 阿部 知子(アベ・トモコ)
協力研究員(研究当時、現 客員研究員)石井 公太郎(イシイ・コウタロウ)
静岡県 農林技術研究所 果樹研究センター
研究員(研究当時)大久保 貴博(オオクボ・タカヒロ)
(現 静岡県 農業局 農業戦略課 主任)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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