理化学研究所(理研)量子コンピュータ研究センター 光量子制御研究チームの横山 翔竜 上級研究員、米澤 英宏 チームディレクター、東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻のワリット・アサバナント 助教(研究当時、現 理研量子コンピュータ研究センター 光量子計算研究チーム 客員研究員)らの国際共同研究グループは、「過去」と「未来」の観測記録を組み合わせて光の量子状態のダイナミクスを推定する「量子状態スムージング[1]」を初めて実証しました。
本研究成果は、過去の量子状態の動きを、その後の観測記録も活用し、より詳しく調べる手法の有効性を示すものです。量子状態の高精度な推定は、量子技術の性能を極限まで高める要となる技術です。測定誘起型の量子コンピュータ[2]をはじめ、測定記録を事後処理できる量子情報処理において、状態の推定や評価への活用が期待されます。
量子状態の推定には、通常、推定したい時刻までの観測記録を使います。その時刻より後の未来の記録も使えば、より正確に過去の状態を推定できると考えられますが、古典的な計算法をそのまま量子に適用すると、量子力学の原理と矛盾する結果になることがあります。量子状態スムージングは、この問題を避ける手法として理論的に提案されましたが、検証の難しさから実験実証には至っていませんでした。
今回、国際共同研究グループは、「推定を行う観測者には見えていない情報を、別の隠れた観測者が測定している」という理論上の設定を光の実験で再現することで、推定結果の検証に成功しました。実験装置を精密に較正(こうせい)し、光の損失や検出効率などの特性を反映したモデルで解析した結果、過去の記録だけを使う従来の手法よりも、基準となる量子状態(真の状態)により近い推定が実現されました。また、推定された量子状態の純度[3]やスクイージング[4]が改善することも実験で示しました。
本研究は、科学雑誌『npj Quantum Information』オンライン版(10月21日付)に掲載されました。
本研究での推定対象である光共振器
背景
ある時刻の信号を推定するとき、その時刻までの観測記録だけでなく、それより後の「未来」の観測記録も手掛かりにする方法を「スムージング」と呼びます。この手法は、雑音を含む観測記録から移動する物体の位置や速度を推定するなど、古典的な信号処理で古くから利用されてきました。しかし、量子の世界では観測が量子の状態に影響を与えるため、古典的なスムージングの計算法をそのまま使うと、不確定性原理(例えば、位置と運動量の揺らぎを、同時にいくらでも小さくすることはできないということ)に反するなど、物理的な量子状態として解釈できない結果になることがあります。このため、量子力学の原理と整合する形で量子状態にスムージングを適用することが、長年の課題でした。
この課題を解決する方法として、2015年にグリフィス大学(オーストラリア)のハワード・ワイズマン教授らは、「推定を行う観測者Aliceが得られない情報を、別の観測者Bobが測定している」という仮定に基づく「量子状態スムージング」を提案しました注1)。2019年に、シンガポール国立大学のキアン・ラベリック博士(当時グリフィス大学)らは、時間発展と測定を線形なモデルで扱える線形ガウス量子系[5]において、量子状態スムージングを実際に計算できる形に定式化しました注2)。
ただし、実験でこの理論を検証するには、Aliceの記録だけから推定した量子状態がどれだけ正確かを評価するための基準が必要です。しかし、理論上仮定された観測者Bobに相当する測定を実験でどう実現し、比較の基準となる状態をどう求めるかが課題でした。こうした検証の難しさから、量子状態スムージングの実験実証には至っていませんでした。
- 注1)Ivonne A. Guevara and Howard M. Wiseman, "Quantum State Smoothing", Physical Review Letters 115, 180407 (2015).
- 注2)Kiarn T. Laverick, Areeya Chantasri, and Howard M. Wiseman, "Quantum State Smoothing for Linear Gaussian Systems", Physical Review Letters 122, 190402 (2019).
研究手法と成果
本研究では、量子状態スムージングを実験で検証するため、光共振器と二つの検出器を用いた実験系を構築しました。推定の対象は、光共振器内に閉じ込められたスクイーズド状態[6]です。スクイーズド状態は、光の特定の成分の量子揺らぎ[7]が真空状態より小さくなった量子的な状態で、これを生成・制御することは量子技術の根幹を成します。本実験系では、共振器から出力される光を二つに分け、二つの検出器(AliceとBobと呼びます)で測定することで、Aliceから見えない情報をBobが測るという理論上の設定を実験で再現しました。さらに、実験装置を精密に較正し、光の損失や検出効率などの特性を反映したモデルを構築しました。このモデルを用いて、実験データから共振器内の量子状態の時間変化を推定しました。
検証には、量子状態を推定したい時刻(以下「推定時刻」)までのAliceとBobの両方の観測記録を使い、実験モデルから求めた状態を基準としました。この状態を、以下では「真の状態」と呼びます。これに対し、Aliceの記録だけを使い、推定時刻までの記録から求めるフィルタリングと、その時刻よりも後の記録も使うスムージングの結果を比較しました。Bobの観測記録はスムージングの計算には使わず、検証のための基準状態(真の状態)を求める際に用いました(図1)。
図1 光共振器の三つの推定手法
共振器から出る光を二つに分け、AliceとBobに対応する検出器で測定する。フィルタリングはAliceの推定時刻までの記録を使い、スムージングはそれより後の未来の記録も使う。一方、AliceとBobの両方の記録を推定時刻まで使って求めた「真の状態」を、推定結果を評価する基準とする。Bobの記録はスムージングの計算には使わない。θAとθBは、それぞれ測定する光の成分を決める角度を表す。
解析の結果、共振器内の光の量子状態が時間とともに変化する様子を追跡できました(図2)。スムージングによる推定値の軌跡(青色の線)は、基準となる「真の状態」の軌跡(灰色の線)をよく再現しています。また、「真の状態」からのずれを定量的に評価したところ、スムージングではフィルタリングよりも小さくなることを確認しました。これは、「未来」の観測記録を使うことで、「過去」の量子状態をより正確に推定できたことを示します。
図2 量子状態スムージングにより得られたダイナミクスの推定結果と真の値
光の電場の位相が90度異なる二つの成分(x,p)について、スムージングによる推定結果を示す。青色の線は推定された状態の平均値、灰色の線は基準となる「真の状態」の平均値を表す。濃い青色の立体と薄青色の帯は、推定された状態の量子揺らぎの広がりを表す。スムージングにより、量子揺らぎを伴う状態の中心が時間とともに変化する様子を捉えている。ns:ナノ秒(1nsは10億分の1秒)。
量子状態スムージングにより、推定された状態の純度とスクイージングも改善しました(図3)。それぞれの改善が最大となる測定条件では、「真の状態」との差が、従来のフィルタリングに比べて純度で10.3±1.6%、スクイージングで7.6±2.6%縮まりました。これは、未来の観測記録を使うことで、光の量子揺らぎなど、過去の状態が持つ量子的な特徴を推定結果により忠実に反映できることを示しています。
図3 量子状態スムージングにより改善する状態の純度とスクイージングレベル
左図は純度、右図はスクイージングレベルを示す。横軸はAliceが測定する光の成分を決める角度(deg(degree):度)で、Bobの測定条件は各指標の改善が最大となるように選んだ。紫色はスムージング、だいだい色はフィルタリング、灰色は「真の状態」を表し、点は実験値、実線は理論値を示す。破線は観測記録を使わずに求めた状態の値である。左図は値が大きいほど純度が高く、右図は値が小さいほど量子揺らぎが小さい。スムージングを使うことで、いずれもフィルタリングより「真の状態」に近い値が得られる。
今後の期待
量子状態の高精度な推定と、それによる量子性の復元は、量子計算や量子センサーなどをはじめとする幅広い量子技術の高性能化につながると考えられます。本研究により、「未来」の情報を使い「過去」を推定する量子状態スムージングの有効性を、実験で検証しました。測定記録を保存して後から処理する量子情報実験の解析や評価への応用が考えられます。今後は、観測後のデータから量子状態の変化をより詳しく調べる解析手法として、適用できる条件や対象を広げていくことが期待されます。
補足説明
- 1.量子状態スムージング
推定を行う観測者Aliceと、別の観測者Bobの2者が推定対象を測定しているという仮定に基づく推定方法。具体的には、Aliceの過去と未来の観測記録からBobの記録を確率的に推定し、それぞれの記録に対応する量子状態をその確率に応じて平均する手法である。物理的な量子状態を平均することで、推定結果も量子力学の原理を満たす状態になる。 - 2.測定誘起型の量子コンピュータ
あらかじめ用意した量子もつれ状態を順次測定し、その結果に応じて後続の測定や操作を変えることで計算を進める方式の量子コンピュータ。 - 3.純度
量子状態の混ざり具合を表す指標。純粋な状態では1、複数の状態が混ざった状態では1より小さくなる。多くの量子情報処理では、1に近い状態が望ましい。 - 4.スクイージング
光の特定の成分の量子揺らぎ([7]参照)を、真空状態より小さくすること。真空状態と比べて量子揺らぎがどれだけ小さいかを表す指標をスクイージングレベルと呼び、デシベル(dB)で表す。小さくした量子揺らぎを利用することで、量子計算や量子計測の精度向上に役立つ。 - 5.線形ガウス量子系
量子状態の時間変化や測定を線形なモデルで扱うことができ、量子状態を表す分布がガウス分布(正規分布)の形を保つ系。量子状態は、平均値と量子揺らぎの大きさや相関を表す共分散によって記述できる。本研究で扱う光共振器とその測定は、この条件を満たす。 - 6.スクイーズド状態
光の特定の成分の量子揺らぎが真空状態より小さくなった状態。不確定性原理を満たすため、対になるもう一方の成分の揺らぎは真空状態より大きくなっている。 - 7.量子揺らぎ
量子力学に由来する、光の振幅や粒子の位置・運動量などの測定値の本質的なばらつき。光のエネルギーが最も低い状態(真空状態)でも量子揺らぎは存在する。
国際共同研究グループ
理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 光量子制御研究チーム
チームディレクター 米澤 英宏(ヨネザワ・ヒデヒロ)
上級研究員 横山 翔竜(ヨコヤマ・ショウタ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻
助教(研究当時)ワリット・アサバナント(Warit Asavanant)
(現理研 量子コンピュータ研究センター 光量子計算研究チーム 客員研究員)
グリフィス大学(オーストラリア)
教授 ハワード・ワイズマン(Howard M. Wiseman)
研究員(研究当時)余 其(Qi Yu)
シンガポール国立大学
研究員 キアン・ラベリック(Kiarn T. Laverick)
マヒドン大学(タイ)
准教授 アーリーヤー・チャンタシー(Areeya Chantasri)
シドニー工科大学(オーストラリア)
教授 董 道毅(Daoyi Dong)
ニューサウスウェールズ大学(オーストラリア)
研究員(研究当時)デイビッド・マクマナス(David McManus)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(C)「量子状態平滑化による光共振器内部における量子挙動推定の研究(研究代表者:横山翔竜、JP24K06930)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Shota Yokoyama, Kiarn T. Laverick, David McManus, Qi Yu, Areeya Chantasri, Warit Asavanant, Daoyi Dong, Howard M. Wiseman, Hidehiro Yonezawa, "Quantum state smoothing for tracking optical quantum dynamics and recovering purity and squeezing", npj Quantum Information, 10.1038/s41534-026-01390-0
発表者
理化学研究所
量子コンピュータ研究センター 光量子制御研究チーム
チームディレクター 米澤 英宏(ヨネザワ・ヒデヒロ)
上級研究員 横山 翔竜(ヨコヤマ・ショウタ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻
助教(研究当時)ワリット・アサバナント(Warit Asavanant)
(理研 量子コンピュータ研究センター 光量子計算研究チーム 客員研究員)
左から米澤 英宏、横山 翔竜
発表者のコメント
2020年2月、オーストラリア・キングスクリフで開かれたCQC2T(The ARC Centre of Excellence for Quantum Computation and Communication Technology)の年次会合での雑談から始まったプロジェクトです。量子状態スムージングの理論に全く理解が追い付かなかったあの日から6年の歳月を経て、ついに実験で確かめた成果が日の目を見ることになり、感無量です。(横山 翔竜)
本研究成果が、学術的な興味にとどまらず、量子デバイスや量子センシング技術への応用につながることを期待しています。(米澤 英宏)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
お問い合わせフォーム
東京大学 大学院工学系研究科 広報室
Tel: 03-5841-0235
Email: kouhou@pr.t.u-tokyo.ac.jp
