文章や絵をかき、質問に答える。目標を提示すると、推論を重ねて問題を解決する。AIは劇的に進化し、急速に身近な存在になりました。ところが、なぜそこまで高い性能を発揮できるのか、専門家にも分からない点が多く残されています。この変化の激しいAI研究分野で「なぜ」を追ってきたのが、杉山 将 センター長率いる革新知能統合研究センター(AIP)です。日本のAI研究開発力を高める拠点として発足11年目を迎えた2026年4月、新たな段階へと歩みを進めました。
誰も「機械学習」を理解していなかった時代に
2016年4月にAIPが発足するはるか昔から、日本でも「AI(人工知能:Artificial Intelligence)」という言葉は広まっていた。だが、AIとは何か、何ができるのかは、ほとんど理解されていなかったのが実情だ。さかのぼれば、研究の世界では1990年代から機械学習に注目が集まっていた。人間がコンピュータに手順を教え込むのではなく、大量のデータからコンピュータで規則性を見つける技術だ。この技術が、今のAIの中核にある。
まだ若手研究者の一人だった杉山 センター長が機械学習の主要な国際会議で初めて論文発表したのは1999年。IBMやマイクロソフト、創業間もないGoogleが会議のスポンサーに名を連ね、この分野の研究者を競って採用していた。一方、日本ではこの分野の「冬の時代」が長く続いており、研究費の申請に「AI」と書くと通らないとまで言われていた。2010年代に入ると日本でも機械学習の重要性が認識されるようになったが、欧米とは10年以上の開きがあった。どうしたら追いつけるのか。その危機感の中から、2016年に第1期のAIPが発足した。
あえて流行を追わず
第1期のAIPにはミッションとして、次世代基盤技術の開発、日本が強いサイエンス分野をAI技術によりさらに強化、社会課題の解決への貢献、倫理的・社会的課題への対応、人材育成――の五つが定められた。その中で杉山 センター長が土台に据えたのは一つ目の次世代基盤技術、つまり基礎的な数理分野の研究だ。当時、基礎研究を主軸としたAIの研究所は世界にもほとんどなかった。「私たちが力を入れたのは、いかにAIを使うかではなく、AIとは何かを根本的に探る研究です。原理が理解できてこそ、新しいAIをつくり出すことも可能になります」
変化の速いこの分野で流行を追えば、目標にたどり着いたと思ったころにはさらに先に進んでいる。杉山 センター長は、目先の流行を追わず、あえて距離を置く姿勢を貫いてきた。2005年ごろ、機械学習におけるアルゴリズムの研究に多くの研究者が注目する中、杉山 センター長は「分布シフト適応」という、より基礎的なデータの部分に目を向ける道を選んだ。AIは世の中が変わらない前提で学習するが、現実の変化に合わせてシステムをどう適応させるかを探る理論だ。当時発表した論文は、20年を経た今も盛んに引用されている。「勇気を持って流行(はや)らないことをやる人が、一定数は必要です」
「予測の正確さ」を数理的に裏付ける
AIPの研究者たちが挑む謎は、センターが動き出すずっと前に生まれていた。脳の神経回路をまねた「ニューラルネットワーク」という仕組みを、何層も重ねる手法がある。ディープラーニング(深層学習)だ。2012年、画像に何が写っているかを正しく認識する国際コンテストで、ディープラーニングを使ったカナダのチームが、従来の手法を用いた他チームを大きく引き離した。アカデミアも産業界もこの技術に一斉に飛びついたが、なぜこれほど認識の精度が上がったのか、その理由は誰にも説明できなかった。
AIPは数学に強い研究者を集め、ディープラーニングの原理の解明に挑んだ。
たどり着いた答えの一端は「次元」にあった。AIが扱うデータの項目数を次元という。例えば、医療情報では扱う項目が年齢だけなら1次元、年齢と身長なら2次元。医用画像や遺伝情報になると、ピクセルごとの数値情報やDNA配列など何千次元から何百万次元にもなり、次元が上がるほど予測は難しくなる。この現象は「次元の呪い」と呼ばれ、古くから数学的に示されてきた壁だ。「私たちは、層を深く重ねたニューラルネットワークなら『次元の呪い』を避けられる場合があると、数学的に証明することに成功しました」。深層学習理論チームによるこの研究成果は、ディープラーニングの認識精度を高める原理の一部を数理的に裏付けたことになり、学術界に大きな影響をもたらした。AIPの10年間の大きな成果の一つに挙げられる。
取り組んだのは原理の解明だけではない。医学分野では早い段階からAI関連の研究が動き、AIPのがん探索医療研究チームなどが開発した胎児心臓超音波スクリーニング支援システムは、2024年に薬事承認を得て治療に生かされ、重い先天性心疾患の見落としを防ぐことが期待されている。社会実装に至った成果の一例である。
このほか、音楽や言語などのメディア領域や、哲学や法制度などの人文・社会科学の領域での研究にもいち早く取り組み、成果を上げている。
激動の中でスター研究者を育てる
AIPが原理の解明を進める間にも、AIは想像を絶するスピードで姿を変えてきた。2022年以降、生成AIが急速に広まり、事実と異なる内容をもっともらしく答える「ハルシネーション」も知られるようになった。どんな原理で動き、どこで間違えるのかを技術者が理解していなければ、AIは制御できない。原理を解明する研究の必要性が、改めて認識された。
AIが社会に浸透するのに伴って情報分野の人材不足が深刻化し、特に国内では研究人材が絶対的に足りなくなっている。そこで、国際的に名が知れ渡るような「スター研究者」の育成に力を注ぐことにした。スター研究者のもとには、共同研究を希望する優秀な人材が世界中から集まるためだ。「厳しい競争の中でも、この10年でスター研究者の卵が着実に育ちつつあります」と杉山 センター長はAIPでの実績に手応えを感じている。
2025年10月3日、AIP(理研 東京地区)で開催された「RIKEN AIP LLM×ML Workshop」の様子。AIPの研究者らが集い、大規模言語モデルと機械学習の融合に関する研究成果や課題について活発に議論を交わした。
新たな一歩を踏み出したAIP
AIPはもともと、文部科学省のプロジェクトとして発足したという経緯がある。プロジェクト終了後の2026年4月、AIPは今後の展開に向けて、新たな歩みを踏み出した。
杉山 センター長は「理研が取り組むべき基礎科学研究の一つの柱」として、AI研究の重要度がますます高まると考えている。研究体制も再編した。「マセマティカルインテリジェンス」は知能の原理を数理的に解明し、信頼性の高い新たな知能の原理を創出する。「ドメインインテリジェンス」は科学の知識や理論をAIモデルに統合し、多様な科学領域における研究方法論の革新に貢献する。「フィジカルインテリジェンス」は、実世界で自律的に判断・行動できる知能システムの原理構築と、実装可能なAIロボット技術の確立を目指す。三つのグループに分けてはいるが、数理を土台に置く点はどれも同じだ。ただ、数年先すら見通せない分野で、ゴールを決めて走るやり方は通用しない。「変化の波にのみ込まれないように、自らその波に乗らないといけませんね。目標をアップデートしながら方向を見定めていきたいです」
海外のAIプラットフォームの後追いではなく、日本が主導権を握れるような展開を目指す。「基礎研究でその突破口を開いていきます」。杉山 センター長は力強く言葉を結んだ。
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